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徳島市立 徳島城博物館
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とくしまヒストリー ~第16回~

鷹匠たかじょう町」 -城下町徳島の地名4-

 現在は飲食店等の集まった歓楽街となっているが、鷹匠町は江戸時代から続いた歴史的な地名だ。
 鷹匠とは聞きなれないが、江戸時代、藩主が鷹狩に使用する鷹を調教した武士のことをいった。鷹匠の屋敷が集まったので、「鷹匠町」の地名が生まれた。
 鷹狩は飼い馴らした鷹を放って野禽・小獣を捕えさせる狩猟で、古代から行われた。戦国時代から江戸時代にかけては武家が独占し、江戸時代には将軍家を頂点とする御鷹の支配が確立した。鷹狩は将軍や大名など、一部の者に限られた、武士のステイタスシンボルとなった。
 鷹狩を担った鷹匠は、江戸時代を通じて20人前後もいた。延宝4年(1674)頃までは御鷹師と呼ばれたという。身分は徒士格で禄高は4人扶持・支配7石程度(実収は14石2斗で、現在の金額にすると年収は142万円ほどとなる)。毎年8月から翌年2月まで自宅で鷹を預かって飼育したが、殿様の鷹なので人よりも偉かったという。鷹匠は気遣いがひどく、長生きはできなかったというから、困難をともなう役職だった(『阿波近世用語辞典』)。
 江戸時代の「鷹匠町」は、現代の徳島市鷹匠町1丁目付近にあたるが、寛永8年(1631)から同13年(1636)までの時期の城下町徳島を描いた「忠英様御代御山下画図」(国文学研究資料館蔵)には宅地化されていない村状態であった。この時期には鷹匠がどこに住んだかは定かではない。
正保3年(1646)の「阿波国徳島城之図」では、同所は宅地化され武家地となっているが鷹匠の屋敷ではない。鷹匠の住んだ「鷹師町」は伊賀町3丁目付近に見える。
 寛文5年(1665)の「阿波国渭津城之図」(徳島県立博物館蔵)で初めて、鷹匠町の位置に「鷹匠屋敷」が見える。
 つまり、「鷹匠町」の成立は17世紀の中頃だ。これ以降、同地は鷹匠町と呼ばれた。ただし、幕府の生類憐みの令の影響を受けて、元禄6年(1693)9月には「小川町」に町名が変えられた(『阿淡年表秘録』)。後に鷹匠町に復帰している。
 鷹匠の屋敷が集まったので鷹匠町という地名が誕生したのだが、皮肉にも江戸時代後期には鷹匠は2人しか住んでいなかった。それはなぜだろうか。
 阿波九城が廃止された17世紀中頃には城下町徳島は大きな再編期を迎えた。冨田地区は武士や足軽の屋敷地として急速に造成された。この新興住宅地に、殿様の鷹を扱う鷹匠たちは、優遇され屋敷を与えられて「鷹匠町」が誕生した。しかし、その後、鷹匠たちは屋敷替えを命じられ他へ転出し、「鷹匠町」という地名だけが残った。
 鷹匠たちは同町に住み続けなければいけない役職上の理由はなかったようだ。城下町徳島を見渡してみると、家老の稲田家や賀島家などのように、江戸時代を通じて同じ屋敷地に住み続けたケースは散見される。これは徳島城の大手にあたる寺島口を守備するという軍事的な理由と推定される。鷹匠には、このような積極的な理由は見いだせない。その結果、鷹匠のほとんどいない「鷹匠町」となったのだ。
 なお、武家地であった「鷹匠町」が今日のように歓楽街となったのは、町人地として賑わった富田町の南隣に位置していて、しかも交通の便が良かったからであろう。
 鷹匠町は、殿様の鷹を扱う武士(鷹匠)の屋敷が集まった町から、徳島を代表するほどの繁華街・歓楽街へと移り変わった。江戸時代から現代にかけて、これほど大変身したケースは珍しい。
 地名には思わぬ歴史が埋もれている。それだから地名は面白い。


「阿州分限帳」、万延元年(1860)、徳島城博物館蔵。佐野文蔵と香川茂一郎が鷹匠。


「阿波国渭津城下之絵図」、天和3年(1683)、徳島城博物館蔵。

参考文献

神河庚蔵編・発行『阿波国最近文明史料』、1915年
『日本歴史地名大系37 徳島県の地名』、平凡社、2000年
高田豊輝著・発行『阿波近世用語辞典』、2001年
福田千鶴『江戸時代の武家社会 ―公儀・鷹場・史料論』、校倉書房、2005年

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