千利休書状(せんのりきゅう しょじょう)
最終更新日:2019年5月29日
天正14年(1586)
魚屋立安宛。蜂須賀家政から依頼されていた茶釜が見つかったので、阿波の家政のもとに届けてくれるよう述べた書状。
宛て先の立安は渡辺道通といい、千利休の甥にあたる豪商。父渡辺与兵衛は蜂須賀正勝に仕えたが天正年間に戦死したため、立安は叔父利休のもとで育った。阿波の大名となった家政に招かれて母とともに徳島に移住し、屋号を魚屋として活躍した。
同4年には那西郡内で100石が与えられている。家政の信頼が厚く、慶長5年(1600)家政が隠居した時には、和泉国牧野の立安の屋敷で剃髪している。
本書状は茶人千利休との交流を具体的に示し、家政の文化的な側面を知ることができる史料である。
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