阿波の洋学事始 (徳島市民双書・17)
最終更新日:2019年10月29日
編集者: 佐光 昭二
価格: ¥1,560 (税込み)
形式: B6版 345ページ
発行年月日: 昭和58年1月20日
目次
第1章 洋学以前
第2章 蘭学の先駆
第3章 オランダ語修業
第4章 英語事始
第5章 洋学教育
第6章 英語の学習
第7章 海外渡航者
第8章 来徳の外人
第9章 海外留学生
第10章 徳島の英学者
内容紹介: 「まえがき」より
私が「阿波の洋学」という表題で、徳島県中学校の英語教育研究会誌に寄稿をつづけて8年目になるが、このテーマに取り組んだきっかけは全く偶然のことであった。
その頃、神河庚藏の「阿波国最近文明史料」(大正4年刊)の復刻版が出はじめていた。私はこうした郷土史に特に興味をもっていたわけではなかったが、ただ物珍しさで買い求め、主として教育事情の部分を拾い読みするうちに、むかし徳島に洋学校があったこと、すでに外人教師が明治初期にいたこと、特にオランダ語や英語の勉強の進め方などに、しだいに興味が引かれて行った。
ところが読むほどに、疑問がつぎつぎと出てきた。例えばオランダ語学習に教科用書として用いられたという「ワラン文典」とか、「カラマチカセインタキス文典」、「スクールブック」など、これらがどんなテキストなのか。また時の洋学者が、藩主に御進講申し上げたという蘭書「ヤンチーヘンチー」とは、どんな種類の書物であるのか。私にとって全く分からないことばかりであった。これらのことについて教えてくれる一般向けの郷土史関係の図書は何一つ見当たらなかった。比較的新しい「徳島県史」(昭和40年刊)もまた全く同じ書名のままであった。これらオランダ書名の出所をたどって行けば、明治二十五年刊の文部省版「日本教育史資料旧-徳島藩」に至るのであるが、つまり明治・大正・昭和の三代にわたて、阿波の蘭学は、「ワラン文典」、「カラマチカセインタキス文典」、「スクールブック」なのである。一体これらのテキストがどんなものなのか。さきに研究の動機が「全く偶然のことであった」といったのは、こうした未知の、カタカナ書名についての、全くちょっとした私の好奇心からであった。
図書館に通いながらいくつかの蘭学関係の図書をあさってもみたが、これと同じ書名のものは見当たらない。こうなると、初めの好奇心はいよいよシビアな詮索に変わってしまった。その第一歩から、しかもごく些細なことからつまずき、阿波の洋学史の原典ともいうべき「日本教育史資料」及び「阿波国最近文明史料」を、私ども一般の者が正しく理解することの極めて難しいことがしだいに分かってきた。またこうした根本史料それ自体にも、いくつか疑問を持ち始めた。本稿の意図は、いうなればこれら原典について、私の疑問を、私なりに解答してみたようなものである。しかしながら、今日、こと阿波の洋学に関する資料は、実にさびしいかぎりであり、この阿波の一地方に起こったごく断片的なひとこまひとこまを、日本洋学史のうえに位置づけ、その意義をたずね歩くことは、私の能力をはるかに越えるものであった。独善的な解答にならないように、あらゆる資料の探索に書物から書物への彷徨は、あわれにも私自身、暗闇の迷宮に出口を見失ったテーセウスに化してしまったかの感であった。
この度本稿が、徳島市立図書館の市民双書の一つに加えていただくことになり、いわばアリアドネの糸玉に救われて、ひとまず迷宮を出て日の目を見るようなわけで、まことに面映ゆい次第である。できるだけさっそうと現れたいと願いながらも、その姿たるや、ある部分では細部にこだわり、ある部分では粗雑に過ぎ、どうもスマートとは言い難い。まだまだ資料不足であり、研究不足なのである。
率直に言って、阿波と西洋とのかかわり、特にオランダ語や英語を通じて、阿波の先人が何を受け入れ、どのように展開していったか、多くの先学の跡をたどりつつ、ようやくその原材の所在をサマライズ(要約)してみたところである。願わくは、本書から阿波に芽生えた“西洋学”への情熱を、日本近代化の胎動のなかを行きぬいてきた若き先覚の心意気を、感じとって下さればと思う。
もとより浅学微力であり、今後大方の御叱正をまたなければならない。恐懼しつつ権威ある斯学の諸先生の御指導を心より念願するものである。また併せて未知の資料や埋もれた人物の業績がいつの日か新たに発見されることを祈念している次第である。
昭和57年9月
徳島文理中学校・高等学校教諭 佐光昭二
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