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忘れ得ぬ体験:宮本 博子

最終更新日:2016年4月1日

 徳島市南前川町 宮本 博子

 思い起こせば、あれから六十五年、当時私は八才でした。
 度重なる空襲警報に慣れっこになっていて、当日も警戒警報の解除で皆でくつろいでいたところ、突然のB29の襲来に慌てふためいて、家の防空壕に逃げ込みました。ほどなく爆弾が落ち始めると、借家にいた人達は町内会長の制止を振り切っていち早く城山に逃げましたが、私達母娘は自宅と借家三軒を放って逃げてはならぬとのことで、家に爆弾が落ち、町内会長も逃げて居なくなって初めて外に出ました。まず、母が妹を乳母車に乗せて道路に出た途端、妹の乗った乳母車に焼夷弾が三発も直撃して、幸い母は火傷を負ったものの助かりました。妹は一瞬にして居なくなったそうです。そのとき私はまだ外に出ずに、門柱に隠れていました。祖母は防空壕の中に居ました。後戻りした母は、中庭の井戸で衣服の火を消したり、防空頭巾の上から水をかぶったりしていました。ふと家の中を見やると青い蚊帳のあちらこちらにチラチラと火がついて燃えているのに気付き、しばし見とれていました。あの光景は子供心にも決して忘れることのできない思い出の一つになっています。
 私は頭からすっぽりバケツをかぶり、二人に手を引かれて火の走る道路を油で滑りそうになりながら、命からがら近くの川までたどり着き、川の中に入りました。すでに大勢の人が水の中に居て、まるで芋こぎ状態でした。爆弾が落ちるたびにお風呂の中に居るようで、すぐ冷たくなるのですが、首まで水につかり、対岸の家が勢いよく燃えるのを呆然と眺めながら、朝まで何とか命を長らえました。川の中でも弾に当たったのか浮いている人も何人か居ましたが、皆、無関心で知らぬふりでした。
 明るくなったらすぐ母は妹を捜し始めました。毎日来る日も来る日も火傷で痛む体をおして、涙もかれるほど捜し歩きましたが、結局、何の手がかりもなく見つけることはできませんでした。私はどこかで誰かに助けられて生きていてくれたらと願っていましたが、いまだに何の消息もなくあきらめていました。
 このほど体験談を募集していたので、私の手記を見て何か妹の情報が得られるのではとの期待をこめて下手な文章ですが書いてみました。妹の名前は『宮本佐和美(当時五才)』です。目の大きなオカッパの太った子供でした。家は小さなお菓子屋さんでした。情報いただければ幸いです。

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