時中焼 秋草文水指(ときなかやき あきくさもん みずさし)
最終更新日:2019年7月6日
一口
植松丈七 作
高16.8 cm 口径18.5 cm 底径13.8 cm
淡々斎碩叟箱書
陶工丈七は、阿波焼の勤めを終えて2、3年後に伊勢松坂へ帰郷したと考えられている。現在の三重県松阪市垣鼻町において、父植松寸丈(和泥斎、1717~1804)が創始し、経営していた時中焼に携わり、これを継承。しかし文化14年(1817)10月(位牌による。墓石では11月)29日には丈七もまた没する。ここに寸丈・丈七、父子2代に渡って育まれてきた時中焼も廃絶することとなった。
本作の箱蓋表には「時中焼/秋草絵水指/乙未秋於徳嶋/宗室(花押)」と認めてあり、昭和30年(1955)の秋、裏千家14代淡々斎碩叟(1893~1964)が、徳島の地で時中焼水指と極めたことが知られる。
『阿波の茶の湯』,2011,p73(一部)
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