更新日:2017年4月1日
徳島市では、市民または本市に出生した人で、社会文化の進展に著しく貢献した人に対して、徳島市名誉市民の称号を贈り、その功績を表彰しています。今回、5人目となる名誉市民の称号を、4月27日に「阿波よしこの」の名手、お鯉さんこと多田 小餘綾(ただ こゆるぎ)さん=徳島市南二軒屋町=に贈りました。
多田 小餘綾さんは明治40年4月、徳島市大道3丁目に生まれました。
三味線を習い始めたのは小学校入学前、6歳の頃。その後、10歳のときに清元 延喜久(きよもと のぶきく)氏に弟子入りし、本格的に三味線を修行しました。
新町小学校を卒業後、芸妓の道を志し、大正9年に芸妓「うた丸」としてお披露目、大正12年に「こゆるぎ」名で自前芸者となり、昭和5年、「お鯉」と改名。その鍛えられた美声と三味線の技をもって広く知られるようになりました。
昭和6年に、日本コロムビア大阪支社で「徳島盆踊唄(よしこの)」と「阿波風景」をレコードに収録、翌年発売。これが「阿波よしこの」の初レコード化であり、全国に阿波おどりのリズムが知られるきっかけとなりました。
昭和8年には長唄の名取、松永 和三雄(まつなが わさゆう)となり、その2年後、昭和10年に「阿波盆踊唄(よしこの)」と「せきぞろ」を発売。
翌、昭和11年には、タイヘイレコードと専属契約を結び、「東の市丸、西のお鯉」として全国に知られるレコード歌手、日本の「歌姫」として活躍しました。
昭和21年12月、疎開先から徳島市に戻ると、戦後、復活した阿波おどりの宣伝のためキャラバン隊に参加、県外で「よしこの」を披露し、阿波おどりとともに広く知られるようになりました。
昭和24年の暮れには、料亭「言問」を栄町に開業し女将として店を切り盛りする傍ら、昭和34年には「阿波踊り」「阿波踊り囃子」を発売。同年、NHK徳島放送局や四国放送が相次いでテレビ放送を開始したのに伴って、ラジオ・テレビにも数多く出演するようになりました。
その後、昭和62年にはカセットテープ「唄いつづけて70年、阿波よしこの・お鯉」を発売、平成10年には「阿波の心」「思い出の唄」の2枚のCDを制作、平成18年には「お鯉 唄声は時代を超えて」のCDアルバムを制作しました。
このように、多田小餘綾さんは、長年にわたり、「阿波よしこの」の第一人者として、地元徳島に根を下ろし、阿波文化の継承、発展に貢献されるとともに、後継者の育成にも力を注がれました。
このたびは、思いがけなく徳島市名誉市民の栄誉を授かり、ありがたく感謝申しあげます。私、今百歳、この時にこのような大きい栄誉を頂き、不思議な縁を感じます。天にいる父母によいお土産ができました。
長い人生、山あり谷ありでしたが、好きなお芸の道に打ち込んでこられたことは、幸福な人生でした。六歳の習い始めから今日まで、三味線を離したことはありませんでした。戦争中にも田舎へ三味線を疎開させ、皆から非国民とののしられたこともございましたがずっと弾き続けてまいりました。長唄、小唄、端唄、清元と唄ってまいりましたが、最後にはいつも「阿波よしこの」でございました。
思えば、「阿波よしこの」は、昭和六年にレコードに吹き込み、その後何回もいろいろ工夫して、レコード、カセットテープ、CDへと唄い方も少しずつ変わっていきました。本当によく勉強したように思います。
私と一心同体のように、弾き唄ってまいりました。とうとう、百歳で弾き唄いたいという念願がかない、思い残すことはございません。
徳島に生まれ百年、大好きな「阿波よしこの」と一生をともに過ごし、健康であったならばこそと、何にも誰にも感謝し、あとわずかの残りの人生を大事にしてまいりたいと思っております。
ありがとうございました。
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