革包丸龍文二枚胴具足 烏帽子形兜付(かわつつみ まるりゅうもん にまいどう ぐそく えぼしなり かぶと つき)

更新日:2019年7月10日

革包丸龍文二枚胴具足 烏帽子形兜付(かわつつみ まるりゅうもん にまいどう ぐそく えぼしなり かぶと つき)蜂須賀至鎮具足

一領
初代藩主蜂須賀至鎮所用
胴前高30.5 cm 胴廻85.0 cm
江戸時代初期
岡田一郎氏寄贈
   

 徳島藩初代藩主蜂須賀至鎮(よししげ)(1586~1620)が、慶長5年(1600)の関ケ原の戦いで着用したと伝えられる甲冑。胴や袖、佩楯は、それぞれ栗色の革で包みこみ、金・銀・朱で丸龍文が描かれる。草摺は、金箔押革の切付伊予札(きっつけいよざね)で紅糸を用いて素懸に威す。小鰭(こひれ)は趣向をこらした「亀甲小鰭」(亀甲鉄を赤の羅紗で包んだもの)となっている。
 兜は鉄張茶漆塗の烏帽子形兜で、鉢巻を模した前立が付く。錣は金箔押革の切付伊予札であり、紅糸で素懸に威す。吹返には蜂須賀家の家紋である「丸に左万字紋」の据文金物が配される。
 蜂須賀至鎮は天正14年(1586)、徳島藩祖蜂須賀家政(いえまさ)の嫡子として生まれ、8歳から豊臣秀吉に仕えた。慶長5年には、小笠原秀政(ひでまさ)の娘で徳川家康の養女となった氏姫(のち敬台院(きょうだいいん))を妻とする。その直後の関ケ原の戦いでは、わずか18騎の手勢で東軍として参加した。数えで15歳の初陣であった。
 
 
『鐡華繚乱―ものゝふの美』,2019,p55.75

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